年をとると顕著になるのは、ものわすれと時間の高速度化現象である。
 必要なものを取りにいこうと、二歩踏みだすとなんだったかもう忘れている。だから、一歩で踏みとどまらないといけない。すこしまえまではすぐ思いだせたのだが、いまは記憶再生にすこし時間がかかるようになった。年下の友人は、鍵などの日用品をしまう場合、ここに入れるよと心のなかで呟きながら指差し確認までしているようだ。
 去年だとおもう記憶は、実際には一昨年だったりさらにその前年だったりすることが多い。一週間は二日ほどの感覚で過ぎ去り、一年は四ヶ月ほどで過ぎてゆく。とりわけ、年末の高速度感は甚だしく、Xmasの頃にまばたきを二三度すると、正月明けの十日頃になっている。♪ もういくつ寝るとお正月♪ なんて待ち遠しさを唄った暢気な曲などまったくリアル感がないのである。
 この時間感覚については、時間と空間をあつかう専門学校の講義のなかで触れている。
 二十才の青年にとって一年は1/20でしかない。六十才の初老人にとって一年は1/60に相当する。この体験年数に対する相対的時間差が時間を捉える感覚として作用しているのではないだろうか。だが、20余年しか生きていない学生たち若人には、切実な問題ではないようで、ぴんとこない表情を浮かべている。某哲学者のことばを借りると、人生の時間列車は年令分の速度で走ると云ふ。つまり20才は毎時20km、60才は60km。100才なら100kmといった具合である。
 街往く老齢の男性たちが、つんのめるようにして歩いている姿をよくみかける。あれは人生の残り時間に急き立てられている姿に見えなくもない。私も知人から「つんのめってますよ」と声をかけられるようになったらどっぷり高齢者ということだろうか。そんなときこそ、待ってましたとばかりに、美☆ウォークで自己調整したいものである。

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