
しかすがに家の平たく立ちならぶ市来(いちき)の湯場の夏のともし火
歌人、与謝野晶子は人生の後半生に、夫寛とともに日本各地を旅行してまわっている。掲載の一首は、寛とともに鹿児島県から招聘された際詠んだもの。市来は現在の鹿児島県いちき串木野市のあたりだそうだ。
ところで、音楽療法においては季節の歌がよく取り上げられる。例えば今は夏、夏といえば海。海といえばそのまま「海」というタイトルの唱歌が二つあるが、ここでは「われは海の子」をピックアップする。場所が特定できる歌が都合が良いからだ。
「われは海の子」は、鹿児島市出身の宮原晃一郎による詩で、大正3年の尋常小学唱歌第六学年用に採用されたもの。市内には歌碑も建てられている。歌詞は現在では主に1、2番が歌われるが実際は7番まであって、最後の歌詞はこんな具合。
いで大船(おおふね)に 乗出して
我は拾わん 海の富
いで軍艦に 乗組みて
我は護(まも)らん 海の国
明治43年の作詞ということで、やはり時代を反映していたことがわかる。
冒頭の与謝野晶子に戻る。与謝野晶子といえば「みだれ髪」や「君死にたまふこと勿れ」がつとに有名だが、寧ろ冒頭の掲出歌のような、各地を吟行して回った歌の方が数が多い。「われは海の子」に合わせて、季節(夏)、場所(鹿児島)、人/著名人(与謝野晶子)を取り上げてみるのも、知的好奇心の充足に繋がる。
さらに場所でいえば、晶子は鎌倉や伊香保でも歌を残している。それらの地を旅したことのある方には、懐かしい回想となるだろう。
ただ一緒に歌うだけでなく、その歌の背景をどこまで広げられるかはあなたの腕次第だ。
認知症の中核症状である見当識障害については私よりもよくご存知かと思うので、ここでは詳述しない。その一助となる歌の背景や関連知識について、次回からも取り上げてみたいと思う。