「先生の講義は、なんの役に立つのでしょうか?」
というにべもない講義アンケートをもらうことがある。正直、教師にとってはえげつないカウンターパンチで
ある。こどもの頃から、学校ではたえずひとつの答えを導きだすことを刷り込まれてきている。がちがちに固
まってしまったあたまやからだは、いますぐ役に立つことしか受け入れられない。便利・合理・効率を旗印に
して人生街道を歩いてゆく。そんな考えに捉われた若者が育っていてもべつだんふしぎではない。

だが世の中には答えがひとつではないこと。答えがないことがある。そんな零れ落ちた現象や事象をすくいあ
げるのが文化芸術が担う役割のひとつである。コレはなんのためにあるのでしょうか?と問いたい現代美術の
作品がある。そう、現代美術などは殆ど無用のガラクタになってしまうのである。だが「人はパンのみにて生
くるものにあらず」とは、すでに旧約聖書のモーゼのことばとして記されている。

美術館などに一生に一度も行かなくとも、なんの後悔もしない人がいる。クラシック音楽を聴いたことがない
人もいる。「落語なんてまどろっこしいだけでしょう」と云う人もいる。「小説を読むとおなかがふくれますか?」なんて聞かれても「いいえ、ちっともハラの足しにはなりません」と答えるしかない。 <必要>か<不要>かですべてを選別していては、世のなか殺伐としてしまう。ここ数年<不要不急>なる物差しが幅を利かせていた。 <不要不急>の合い言葉で一刀両断された文化芸術の担い手たちは、さぞや苦く辛い想いをしたであろう。

前述の学生アンケートには「その問いは、あなた自身に問いかけてみてください」と返答をした。その後、その学生から返信をもらってはいない。

ブログのイメージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。